fromz_vol11
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7from Z_Vol.11_2012こうして世界制覇は着々と近づいていると思われた。だが中学2年生の時に大きな転機が訪れる。サッカーの授業中に倒れ、2週間昏睡状態に陥ったのだ。気付いた時には6人部屋のベッドの上にいた。「周りは植物状態や末期がんの人ばかり。母親は『絶対治るから』と言っていましたが、ダメだと思いました。当時、僕と同じ病気の子供たちが20〜30人いましたが、皆知り合って2、3ヶ月で亡くなっていきました。僕も長くて8年と言われていたらしいです」医師からは「君は一生車椅子だから、体を鍛えなさい」と宣言された。すぐにリハビリが始まり、古田氏は懸命に取り組んだ。上半身はみるみる鍛え上がっていくが……。「足がどんどん細くなるんです。歩けないし、死んでいくし、何のために生きていくんだろう。すると、また『人間の本質ってなんだろう』と考えるようになりました。100歳まで生きる人もいる。でも人生は長さじゃない。人生とは自分が死の瞬間に満足できるかということではないか――。では自分の満足は何か? 『ロボット技術で世の中を変えること。少しでもいい方に』。僕はこの時、人生における何かを“くらった”んです」ここで古田氏が自覚したのは、“車椅子のロボットを作ろう”という想いだった。「とにかく車椅子を何とかしたかったんです。だって、もともと寒さを凌ぐための服も、視力を補うためにかけていた眼鏡もいまやファッションになっているのに、車椅子のデザインにはまだ『敗北感』がいっぱいだったから。そして、バリアフリーはウソだと思いました。道を作って、舗装するのをバリアフリーというのは、技術が未熟だからに過ぎない。それは車が平らなところしか行けないから。もし車輪じゃなくて脚が生えていれば、環境を変えずにサクサク動ける。環境はそのまま、技術側でバリアフリーにすればいい。『脚椅子』をつくろう。十年か数十年後かわからないけど、絶対必要になるから」ハルキゲニア01やハルクⅡの原点はここに生まれた。「もっと言えば、人ができることは2つしかないんです。それは『種の保存』と『個の保存』。種の保存とは子孫を残すこと。個の保存とは、自分の個性や仕事を残すことです。僕の場合は、ロボット技術で世の中を変えること。それが世界制覇だと。僕の技術が世の中に広まって“使われる”ことだとわかったんです」古田氏がエンジニアとしての論やスタンスよりも、結果にこだわる理由がここにある。「技術は『使われてナンボ』。結果がすべてなんです。だから結果のためには、悪いこと以外はどんなことでもする。たとえこちらが悪くなくても、土下座だってしますよ。痛くも痒くもない。それで世の中が少しでも良くなるなら」古田氏は半年後奇跡的に車椅子生活から解放された。高校卒業を迎える頃、ロボット工学の権威、富山健氏が青山学院大学で教鞭を執るとの話を聞きつけ、そこに進学する。大学では誰よりも先に、脚椅子にたどり着こうとしていた。1年生から富山先生の研究室に入り浸り、4年生の講義を受けていた。「だから先輩から煙たがられた。でも気にしない。知識も実力もあれば1人でできると思っていた。天馬博士、コスイネンなのだから」学部4年時にはプロジェクトを任され、学部生と修士の先輩たちとチームを組むことになったが、ほかの学部生の研究テーマ、先輩の修士の研究も自らがやり遂げ、取り上げてしまう。「『もう済んだから、他のテーマ探してください』って。いやな奴でしょ(笑)。富山研究室の最初のドクターを目指していたから、かなり無茶をやりましたね。複雑な機械の人機一体を目指した、直感的操縦を実現するコックピット。「Hull(ハル)」に乗り込めば、お子様からお年寄りまで、誰でも簡単に変形ロボを操作できる。不治の病が人生とロボット技術の方向性を教えてくれた技術は使われてナンボ。結果のためなら土下座も辞さない

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