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幾重にも織り込まれた線状の貴金属が魅せる柔らかな煌めき。伝統の技と現代的な感性を融合させた手編みジュエリーはどのようにして生み出されたのか。葛飾区の工房を訪ねた。手編みと彫金技術が融合繊細かつ優美な光を放つ魅惑の手編みジュエリー 大量生産できない職人の伝統的な技が最大の強み檜垣隆博氏手編みジュエリー誕生のきっかけとなったスゲ細工は、檜垣氏を見守るように、今も工房の片隅に飾られている(左)1.5㎜の銀の角線を少しずつ細く引き延ばしていく「線引き」の工程。通常の手編み材用には、最終的に丸線用の0.5㎜と撚り線用の0.35㎜まで細くする (右)撚り線用に線引きした0.35㎜の線材をドリルで撚り合わせていく1960年、東京都葛飾区生まれ。1910年代に祖父・檜垣銀蔵が足立区北千住で創業した「檜垣彫金工芸」の3代目。2代目である父・宣夫氏は伝統的な和彫りの装飾品作りを得意としたが、現在は隆博氏が開発した手編みジュエリーを製作し、百貨店の実演販売イベントなどで好評を得ている。葛飾区伝統工芸士、東京都中小企業振興公社「東京手仕事」認定。ヘラややすり、撚り線加工用のドイツ製のドリルなど、手編みジュエリーを製作するための工具類(左)撚り線したものをアップで見ると、撚り具合が全て均一になっているのが分かる (右)撚ると硬くなるので、編む前にガスバーナーで炙ってナマシを行い、編みやすくする垣隆博氏。以下同)「手編みジュエリー」とは線状に加工した貴金属を、文字通り“編み上げて”作り出すジュエリーのことである。創業百余年になる「檜垣彫金工芸」のオリジナルブランドで、考案したのは3代目の檜垣隆博氏。同社は、金銀などの貴金属に模様を施す錺(かざり)職人の卓越した技術を用いて、日用品から緻密な彫刻を施した装飾品までを手掛けていた。そこからなぜ手編みジュエリーをメインに製作するに至ったのか。彫金の歴史を紐解きながら、開発の経緯を聞いた。「彫金とは、鏨(たがね)などの道具を使って貴金属に彫刻を施す技術のことです。歴史は古く、約1,500年前の古墳時代後期に大陸より伝えられたとされています。その後、刀剣や兜、鎧などの装飾として技術が発達し、江戸や明治の頃になると日用品、特に装身具を美しく飾るため、デザイン重視のものへとシフトしていきました。祖父の時代もそうですが、いわゆるジュエリー作りにおいて、土台を作る地金職人と装飾を施す錺職人は分業が通常でした。しかし、2代目の父・宣夫は、より自分の思い通りの作品に仕上げるために全てを自身で作るようにしました。父は伝統的な和彫りを得意とし、緻密な細工の作品は見事なほど。そんな父を間近で見ていた私自身は元々家業を継ぐ気はなく、会社に就職しましたが、ある日、出張先で“スゲ細工”の編み込みを見た時、昔、父の作品に似たものがあったことを思い出したのです」(檜スゲ細工は新潟県妙高市平丸地区に伝わる民芸品。乾燥させたスゲの葉を干支の形に編み上げていくものが有名だ。スゲ細工を見て、以前、父である宣夫氏が手編みジュエリーの原型となる作品を葛飾区のフェアに出展した際、思いのほか好評だったことを思い出し、この技術を貴金属でやれないかと思案したそう。元々彫刻の技では父20from Z_Vol.34_2025

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