■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ずり硯すの可能性を探るひたすらに石と向き合い製硯師・青栁貴史氏の硯硯を彫る際に使用する鑿(のみ)。石の種類や彫る場所、デザインにより使い分ける。ほとんどのものは祖父・保男さんの代から使い続けているものだそう「製硯師」とは、いわば硯に関する何でも屋のような存在だ。オーダーメイドは元より、修理や復元まですべてをひとりでこなす。同じく硯を製作する仕事として「硯作家」が挙げられるが、こちらは主に採石地付近に工房を構え、現地の石の性質を生かし、作品として硯を作り上げることが多いそう。対して、日本で唯一の製硯師を名乗る青栁貴史氏の仕事は多岐にわたる。どのような石にも、そして時には「夏目漱石が生前に愛用していた硯のレプリカを製作する」というような依頼もこなすため、材料となる石の調査を行い、実際に現地にも足を運んで採掘を行うこともあるのだ。そうしてオーダーに見合った硯を、徹底したこだわりと情熱をもって作り上げる。石や硯への深い知識と技術が求められる、まさに“硯のスペシャリスト”といえよう。そもそも硯の歴史は古く、中国では紀元前200年頃の秦の時代の墓より石の硯が出土している。「硯はとてもシンプルな道具です。中国でおよそ1500年前の唐の時代に造形が決まり、使用用途やデザインがほぼ変わらぬまま、今も使われ続けています。当時、中国で硯を使っていたのは皇帝をはじめ、政治に携わる高官などがほとんど。硯は美術品のような美しさが求められ、剣や宝石と同じ権威の象徴として代々子孫に受け継がれていくものでした」(製硯師・青栁貴史氏。以下同)これら中国の硯を「唐硯(とうけん)」と呼ぶ。その後、中国から伝わってきた日本の硯は「和硯(わけん)」と呼ばれ、どちらかというと実用的なものとして機能性が重視されてきた。面白いのが唐硯は古代中国のどんな名硯といわれるものでも、ほとんどが作者の名がなく無銘のものであるということ。「古代中国では硯に刻むのは作者ではなく、持ち主の名前でした。私も、硯にとって何が一番大事かというと、誰が作ったかではなく、誰が使ったかだ(左上)硯石の一例。買い付けることもあれば、採石に赴くこともある。オーダーによっては、思い描く硯に合う石を探すところから始まる。(上)青柳氏の硯の世界を室内に再現したいというオーダーを受けて製作した「硯のディフューザー」(左)紫式部の硯を再現する際に使用した設計図と調整中の彫刻。昔のものの復元の場合は、当時の文献などを調べ、文様を研究するそう工房の一角に置かれている削岩機。これを使って原石の平面を出す20石と硯の本質を見抜く製硯師とは青栁貴史氏1979年、東京都浅草生まれ。1930年創業の書道用具専門店『寶研堂』四代目。16歳より祖父・青柳保男、父・青柳彰男に作硯を師事。日本、中国各地の石材を用いて、各時代に対応した硯を製作する傍ら、修理・改刻・文化財の復元・復刻製作に従事。宇宙の石(鉱物)を用いた硯製作など、硯に対して未知数の素材開拓も続けている。
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