fromz-vol30
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重くて野暮ったいというイメージが否めない老眼鏡に新しい風を吹き込んだのが「ペーパーグラス」だ。開発の経緯を聞くために福井県鯖江市の工場を訪ねた。厚さわずか2ミリのペーパーグラスが老眼鏡の新時代を創る22(左上)通常の老眼鏡(写真左)とペーパーグラスを比べると鼻パッドの有無やテンプルのカーブの仕方などが違うことが分かる。(左下)横から見るとほぼ直線だ。(右)ペーパーグラスの各部品と名称。(左)金型を用いてプレス加工を行う。数回加工することで、ひとつの部品が完成。(中)丸い棒をプレスして形状を整えていく。写真はヨロイの例。(右)マシニング加工で精密ネジに溝を開けていく。日本有数の“眼鏡の街”として知られている福井県鯖江市。眼鏡フレーム生産の国内シェア率は実に90%以上、世界でも約20%を誇っている。鯖江市の眼鏡作りの歴史が始まったのは明治38(1905)年のこと。冬になると雪深くなる農村の貧しさを憂いた増永五佐衛門が、少ない初期投資で現金収入が得られる副業として目を付けたのが眼鏡だった。そもそも眼鏡は、16世紀にフランシスコ・ザビエルの手によって日本に渡ってきたのだが、製造が始まったのは17世紀になってから。長崎で始まり、18世紀には大阪、京都、江戸へと拡大。そんな折、東京や大阪の眼鏡製造の職人たちを鯖江の地に招いたのだった。その後、活字文化が普及するにつれて眼鏡の需要が増え、第2次世界大戦による高度成長期も追い風となり、鯖江の眼鏡作りも一気に規模を広げ、成長を遂げることとなる。1981年には、世界初となるチタン素材のフレームの商品化にも成功。こうして鯖江は、デザイン力に優れたイタリア、量産性を誇る中国と並び、世界最高水準の技術を有した眼鏡フレームの一大産地として知られるようになったのだ。鯖江の眼鏡作りの特徴は、製造プロセスの分業化が徹底されていることである。工程は通常でも200を超え、多いものは300にも及ぶ。それらを各職人や工場が担当し、製造が進んでいく。今回取材した「西村プレシジョン」もそんなメーカーのひとつ。元々はチタン加工・精密部品加工を専門とする「西村金属」の貿易部門として1993年に設立した。西村金属は主にネジや精密部品など、眼鏡部品の製造をしていたが、2000年頃から眼鏡フレーム製造の仕事が徐々に海外にシフトしていき、受注が減っていったという。そのときに始めたのが、当時まだ珍しかったインターネットによる情報発信だった。「自社のWebサイトを通じ、我々の強みである“チタン加工”の技術を情報発信すると、眼鏡部品以外のこれまでにない分野のお客様からの注文が増えていきました。当時は、技術を盗まれるからインターネットで情報を流すなど、もってのほか! と、かなり反対されたようです。しかし、西村(現西村プレシジョン社長・西村昭宏氏)は、技術力が高いから見せるだけでは盗めないと自信満々でした。フタを開けてみれば、技術を盗まれるどころか、医療や航空機、インプラントなど、異業種へと進出していく契機になったのです」(統括本部 課長・平井則行氏)また、2008年のリーマン・ショックのときも、技術の高さを世に知らしめただけではなく、“チタンクリエイター福井”というブランドのアピールに成功した。同時に、自社で受注しきれないものは、鯖江のメーカー同士で連携し助け合えるような仕組みも作っていったのだ。テンプルヒンジモダンヤマヨロイリム転機となったのはチタン加工の情報発信平井則行氏眼鏡部品製造販売、精密部品加工を手掛ける会社として、昭和43(1968)年4月に『株式会社 西村金属』を設立。その後、チタン精密部品加工専門として事業を展開。同社の貿易部門として1993年10月に『西村プレシジョン』設立。2013年1月ペーパーグラスの製造・販売開始。統括本部 課長 平井氏は、ペーパーグラスの販売・普及に従事。

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